◇那須高原の郷土料理◇ 那須高原のスローフードな郷土料理レシピ集!

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トップページ 那須高原のときどきコラム 明治期の華族に愛された那須野ヶ原
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那須野ヶ原のすごい人たち
那須野ヶ原とは那須岳の麓の約7万ヘクタールの原野のことです。その中心は箒川と那珂川に挟まれた今の那須町、那須塩原市、大田原市あたりです。江戸時代は宇都宮城下と白河城下をつなぐ奥州街道沿いの宿場町(氏家、喜連川、大田原、芦野)は栄えていましたが、那須岳周辺は手つかずの原野が広がっていました。

明治期になって新政府による殖産興業政策によって那須野ヶ原の開拓が始まります。那須疎水を通し、大規模農場を造りました。そのときに活躍したのが、爵位を持った明治期の華族だったのです。詳しくは栃木県庁のサイト「那須野ヶ原とは」を参考にしてください。

郷土史発掘人の私ことギンナンが注目してるのは、その地政学的な意味でありまして、那須岳の裏側はもろに会津若松なわけですよ。華族農場の先駆者である三島道庸(みしまみちつね)は旧薩摩藩士で警視総監を務めた子爵。白河以北を封じる陣容を描いた華族農場は、蝦夷を征する“征夷”という意味の日光東照宮のような歴史のメタファーがあったのではないかと見ているわけであります。
●青木周蔵 (あおき しゅうぞう・外務大臣・子爵)/那須塩原市・青木周蔵那須別邸
●山縣有朋 (やまがた ありとも・内閣総理大臣・公爵)/矢板市・山縣有朋記念館
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